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常設展示室




放生津は射水の村々と関わり合って発展してきました。展示室1では、この地域の特色ある歴史・民俗を3コーナーに分けて紹介します。
1 中世都市 放生津
鎌倉時代、湊町として栄えた放生津に越中守護所が置かれ、越中の政治、経済、文化の中心地としてにぎわいました。戦国時代の明応2年(1493)室町幕府10代将軍足利義材が、政変を避けて放生津に下向し、幕府政権を築きました。
2 湊の民のこころ
海に生きる湊町放生津の船乗りたちは、海上安全、商売繁盛の願いを込め、神仏への厚い祈りを捧げてきました。曳山やボンボコ祭りなど特徴ある祭礼が今もにぎやかに行われています。
3 射水の水郷
放生津潟の周辺の射水平野に、トネリコや湿田など特有の水郷地帯が広がり、そこでは下条川・神楽川・鍛治川などを利用した舟運が発達していました。平野で生産された米は、舟で湊へと運ばれていきました。


江戸時代後期、射水郡高木村に生まれた石黒信由以下4代の和算、測量術に関する「高樹文庫資料」を展示、紹介します。
1 石黒信由の実学
信由は、和算のほかヨーロッパの数学などの学問を、新田開発、河川改修などの測量に活かしました。
2 加越能三州を測る
信由の測量術は加賀藩に、認められ加越能三州(富山・石川県)の測量を命じられました。信由は、測量にあたり自ら器具を改良するなどさまざまな工夫を凝らしました。
3 正確な絵図を作る
信由が作った絵図は、たいへん正確で、同時代の有名な測量家伊能忠敬の業績に並び称されています。
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