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行政Q&A

 

昔の測量術とはどのようなものだったのですか。

カテゴリ 芸術文化   掲載日 2011年6月30日

ご質問 昔の測量術とはどのようなものだったのですか。
回答  地図を作成するためには正確な現地での測量データが必要です。距離、方角、高低差を、多くの地点で正確に測らなければ、実用的な地図はできません。
 江戸時代後期、射水郡高木村(現射水市)に生まれた石黒信由は、高度な和算の素養・知識を活かし、すぐれた測量術を駆使し、用水・河川修築・新田開発に活かされる非常に正確な「絵図」(現代の地図にあたる)を作成しました。

 ここで当時の地図の呼び方をみておきます。江戸時代は地図のことを、「図」または「絵図」と呼んでいました。絵図は絵画的要素が取り込まれ人物などが描かれるなど、鳥瞰図(鳥が空から眺めて見た図)として描かれることも多かったのです。
 しかし信由は自らが作製したものは「絵図」という言い方で通しておりながら、そのほとんどには絵画的表現要素はなく、現地での正確な測量術による資料をもとにした実用の地図そのものでした。

 石黒信由は藩の命を受けて測量隊を結成し、加越能三州(加賀・越中・能登)の各地をまわって測量を行い、文政2年から実に4年の年月をかけて大事業ともいえる地図「加越能三州郡分略絵図」を完成させました。
 その測量は脚で歩く旅そのものです。測量は4〜6人で行われ、1日に平均8〜12kmを行いました。その距離は実に4600km、測量従事日は492日、さらに野帳をまとめて地図にするのに1220日もの日数を費やしており、60歳を越えた信由の強靭な体力と精神力を物語っているといえるでしょう。現代では航空写真や衛星からの位置情報をもとに地図を作成しますが、当時の測量はまさに体を張ったものだったのです。
 また、信由は測量器具にも自ら工夫を凝らし、改良を加えていきました。当時使われていた測量器具には以下のものがあります。
・距離や高さを測るもの
  鎖縄(くさりなわ)
  道路車竿(どうろくるまざお)
  量程車(りょうていしゃ)
・方位を測るもの
  強盗式磁石台(がんどうしきじしゃくだい)
  軸心磁石盤(じししんじしゃくばん)
  ワンカラシン(伊能忠が使用していた)
・高低差を測るもの
  水木(みずき)と刃圭(はたま)
・角度(勾配)を測るもの
  勾配板・象限儀(しょうげんぎ)

 また、信由は測量の誤差を修正するための「道線法」や「交会法」を組み合わせて用いています。そして自ら製作した三角関数表などを用いて正確な地図作りに心血を注ぎました。
 石黒信由の測量術は、「遠測要術」全5巻、「遠測用器之巻」、「遠測法実用」が残されています。

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